スポーツ法に関する日本とヨーロッパとの比較2014年10月16日 09:40

相撲総見
<< 日本におけるスポーツ法の役割 >>

 スポーツ法に関連する相談は様々あるが、「スポーツの自治」は「スポーツ権」の土台であり、コンプライアンス(法令遵守)とガバナンス(組織の統治)を基礎においておおむね次の様な視点に立って法律相談に回答している。
 オリンピック憲章は、スポーツを行うことは人権だという。憲章の前文に続く「オリンピズムの根本原則」の第4項に、「スポーツを行うことは一つの人権である。すべての人が、いかなる差別もなく、オリンピック精神に則って、スポーツを行うことができるのでなければならず、そのオリンピック精神とは、友情・連帯・フェアプレイの精神に基づく相互理解を求めるものである。」と定めている。
 自治権とは、社会に存在し自由かつ自律的に活動している団体・組織に対し、公権力がその自主的な活動に対し、表面的には合理的な理由を保持しつつ不正、不当な制限を加え、ガバナンス(組織の統治)に介入してくる事態が生じたとき、団体・組織が公権力に対抗して、公権力を排除できる正当な権利である。
 「スポーツの自治」はスポーツ活動が、いかなる意味でも自由であり、旧スポーツ振興法1条2項に明記されていたように、国家から強制されないという意味でも自由で、憲法13条の幸福追求権から保障されている。
市民スポーツ組織・スポーツクラブの自治の権利は、経済的自立を基盤として、社会的な存在としての自治的組織に相応しい自己管理能力・規範や民主制を有しているかが、問われる。
 つまり、「スポーツの世界は固有のルールを持つ私的自治にまかされ、公序良俗に反しない限り、国家法は介入しないのを原則とする」という積極的なプラスの論理だ。
 しかし、スポーツ団体の結成・運営・活動にいかなる権力からの介入も強制も受けないとの発想が、逆に第三者の批判を許さないスポーツ界の一貫した考えとして「スポーツに法は入らず」と、スポーツ組織内部の自治原則を堅持し、自分たちの創った固有のルールに従うのが正しいと伝統化してきたというマイナスの部分がある。
 その極論が監督・コーチ・親方と選手・部員・新弟子が学校体育の先輩後輩という暗黙のルールで身分の上下を規律し「派閥と放漫経営」「暴言と暴力」「セクハラとパワハラ」でも「文句の言えない」「泣き寝入り」という日本流的な非近代的な封建的意識が残った。
 スポーツの自由は、スポーツ組織を結成する自由、「スポーツの自治」が基本である。2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催に向けて政府ではスポーツ庁創設せんとしている。スポーツ団体が「スポーツの自治」を確立することは将来100年先のスポーツ界を見据え基本的人権が確保されたスポーツ振興をはかるためにも大切なことだ。


<< 欧州スポーツ法の調査 >>

 2013年5月、日本弁護士連合会の欧州スポーツ法調査研究視察団は、英国・オランダ・ベルギー・フランスの4カ国を歴訪し、スポーツ法を専門とする学者や弁護士さらにはオリンピック委員・非営利スポーツ団体の役員・関係者から欧州スポーツ界の様々な現状を聴取し、「スポーツにおけるガバナンス(注1 組織の統治)」が欧州において重要な要素としてスポーツ法の骨格を形成している事実をまさに肌で知り、帰国した。
 2013年5月28日、オランダ(首都アムスデルダム)から英国(首都ロンドン)に戻る際、英国ヒースロー空港の出入国検査官が私が記載した入国申告書の職業欄の弁護士表示を見て、どの様な種類の専門業務をしているか尋ねてきた。
 専門は「スポーツ法」だと話すと若い女性の公務員は眼を輝かせ「すごい、私も学んだ」と質問よりも自分の経歴を言い始めた。つまり英国では法律科目の一つに「スポーツ法」が一般法と同じく普及し、現代のスポーツ文化の発展とともに将来ますます期待される先進的な法分野だという一つの事実を示唆している。

 2012年12月15日早稲田大学で日本スポーツ法学会第20回大会が開催された。大会テーマは「 法的観点から見た競技スポーツのIntegrity~八百長、無気力試合とその対策を中心に~」である。我々は、スポーツマンシップとかフェアプレーという言葉は良く聞くが、インテグリティー(Integrity)注(1)という言葉には馴染みがない。しかし、欧米のスポーツ関係者の間ではドーピングの蔓延とともに話題にされることが多くなった。
 基調講演をなしたイギリスのスポーツに造詣のある歴史社会学の菊幸一(筑波大学教授)によると、近代に入り資本家階級(ブルジョアジー)の台頭により、貴族階級の子弟と中産階級の子弟とがハーロー、イートン校・ラクビー校などパブリックスクールで共に学ぶ中で、紳士の倫理として例えばサッカー・ラクビー等の球技スポーツのなかで歴史的、社会的にIntegrityが社会的リーダー(エリート)としての資質・能力だと醸成されてきたという。
 平成23年8月24日施行された「スポーツ基本法」は「スポーツは、これを通じて幸福で豊かな生活を営むことが人々の権利である」(基本法2条)と定める。
 しかし、プロ野球・大相撲の八百長・ドーピングさらには暴力団排除活動など違法・不正に揺れる競技スポーツ界にスポーツの透明性と公正性を求めスポーツ人の社会的使命の自覚は、いかにして可能か?八百長事件、無気力試合・故意的敗退行為など具体的な事例を話題にシンポジュウムでスポーツ界における「法の支配」の確立に向けて学会員の議論が尽きなかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
注1:辞書的な和訳としてインテグリティー(Integrity)は「高潔,誠実,清廉」や「完全な状態,無傷」となる。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://sugawara.asablo.jp/blog/2014/10/16/7459752/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。